サイトアイコン 翻訳者(日⇔英)を目指している方への情報サイト。

直訳か意訳か?

広告

皆さんこんにちはPartner of Medical Translatorsの津村です。

先週、医薬翻訳のクラスで受講生から「先生、課題文はどの程度『意訳』してもいいですか?」という質問を受けました。

いわゆるビジネス翻訳や私の専門のメディカル翻訳では、大なり小なり「直訳か意訳か」という議論が生じてきます。

今日は、この問題を掘り下げてみたいと思います。

 意訳していいですか~?

ビジネス翻訳(英文和訳)をする際に常に問題となるのが、「直訳か、意訳か」と言う事です。しかし、この答えはそう簡単に出るものではありません。

例えば子供が学校から帰ってきた時の;

Mom, I’m home.

を「母、私は家です」あるいは「母さん、私は家庭にいます」と訳すのが直訳で、「母さん、ただいまぁ」と言うのが意訳だとするならば、意訳をしなければダメですよね。

しかし、「母さん、ただいまぁ」と訳すのが直訳で、「おやつ頂戴っ、母さん」と言うのが意訳なら直訳の方が良いでしょう。実際のビジネス翻訳では前者の「母、私は家です」と訳すのはいわゆる誤訳ですから、ここでは後者の議論をしましょう。

翻訳とは、ある言語Aで書かれた文章を別の言語Bに置き換えることですが、ここには大きな2つの問題があります。

ひとつ目は、言語Bに該当する言葉が無い場合です。例えばアフリカ奥地の原住民で、まだコンピュータや携帯電話など見たことも無い人々の原語では「パソコン」とか「メール」に相当する言葉がありません。この様な場合は、言語Bの範囲で理解できる単語や文章で置き換える必要があります。即ち、言語Aの意味を理解し、訳者の解釈を加えて言語Bで表現するのです。しかし、この場合は通常、訳者が変われば表現も変わることになります。これが意訳の特徴で、意訳には「訳者の判断や解釈」が加わり、訳者が変われば表現なども変わってくると言うことです。

2番目は、習慣の違いです。たとえば、日本でもアメリカでも朝の挨拶はあります。しかし、その表現は日本では「おはようございます」ですが、アメリカでは”Good morning”と違っています。アメリカでの”Good morning”を「良い朝」と訳したのでは何のことか解りませんが、これを日本の習慣に合わせて「おはようございます」とすれば、朝の挨拶をしていることが伝わります。この時「おはようございます」という表現は直接的と言う意味での直訳ではありませんが、誰が訳してもこうなるでしょう。ですから「訳者の判断や解釈」は加わっていませんので、意訳ではありません。この様に言語Aでの習慣を言語Bでの対応する習慣で使われる表現に置き換える作業は直訳と言ってよいでしょう。

習慣の中には言語の表現法(つまり一種の文法)も含まれます。例えば「無生物主語」は代表的な英語での表現習慣ですが、日本語にはこの表現法はありません。例えば次の英文をみてみましょう。

This medicine makes you feel better.

ぎちぎちの直訳をすると ①「この薬はあなたをさらに良い感じにする」となります。しかし、日本語にはこの様な表現習慣(文法)はありませんので、日本の習慣に合わせると ②「この薬を飲めば(あなたは)気分が良くなります」という表現になってきます。

英文をまず ①ぎちぎちの直訳をし、さらに文の意味を変えずに ②日本語の(使い慣れた)習慣に合わせた表現に変える、と言うのが翻訳であり、それが直訳なのだと私は思っています。

明治時代には①の段階で止めた直訳を翻訳調と呼び、それが出来る人はハイソサイエティと理解されていたようですが、それは遠い過去の話です。現代では②までやらないとダメです。直訳を悪訳の様に言う人がいますが、それは①の段階で止めた訳を見て言っているのでしょう。現代では直訳を①の段階で止めてしまうと悪訳あるいは誤訳となるので注意しましょう。

実際の例を少し見てみましょう。次の英文は肥満手術などに使用される胃空腸吻合術(gastrojejunostomy)の説明文ですが;

Reducing the size of the stomach and diverting food to the jejunum.

(D-E Chanbner, The language of medicine-ninth edition, 2010より)

これを直訳調で訳してみますと「胃の大きさを縮小し、食物を回腸に迂回させる」となります。後半はまだ良いとしても、問題は前半の” Reducing the size of the stomach”です。「胃の大きさを縮小する」はぎちぎちの直訳の域を全然出ていません。英語の習慣ではこの” the size of”が絶対必要なのです。なぜなら、英語圏では胃はどんなに小さくても胃と認識されていて、「縮小する」のは大きさであって「胃」ではない・・・と解釈するのです。

一方、日本語では「・・・大きさを縮小する」と言う表現習慣は無く、「縮小する」のは胃であって「大きさ」ではないと考えます。英語習慣を日本語の習慣(表現)に直すと、

胃の大きさを縮小する⇒胃を縮小する⇒胃を小さくする

となります。ここまでやって、②日本語の(使い慣れた)習慣に合わせた表現、に至るのです。これが私の言う翻訳であり、直訳と言う事です。

 芸術的な意訳

意訳の成功例も見ておきましょう。次の英文はグレゴリー・ペック主演の戦争映画のタイトルですが、なんだか解りますか?

twelve o’clock high

twelve o’clockは軍隊用語で、12時方向と言うことです。「12時方向に敵発見!」などと言いますが、これは自分たちの真正面方向に敵軍が見えた・・・ということで、通常は水平方向の位置を示しています。

一方、英文はこれにhigh(高さ)が付いていますから、垂直方向の12時、つまり真上⇒頭の上⇒頭上と言う事です。頭上、戦争映画、グレゴリー・ペックとくれば、そうですグレゴリー・ペックが空軍将校として、B-17爆撃隊の編隊長を努め、イギリスからドイツへ出撃する往年の名映画である「頭上の敵機」(1949年)の原題なのです。この和訳は映画の内容が完璧に表現されていて、まさに芸術ともいえる訳と言えるのではないでしょうか。

この様に意訳には訳者のセンス(解釈)が盛り込まれ、それがうまくゆけば芸術のレベルに達します。従って、文芸翻訳や映画の字幕翻訳などではこの意訳の技術が求められます。しかし、私達が扱っている医学・薬学英語では「頭上」という芸術的センスよりも「上方12時方向」という正確さの方が重要ですので、訳者の芸術的?解釈は必要ないと言えるでしょう。

 受験英語の影響!

この直訳・意訳論争に大きな影響(雑音)を与えているのが、受験英語だと私は考えています。翻訳に正解・不正解は無いのですが、受験英語には採点者や評価者が居て、彼等が正解・不正解を決めている、あるいは、決める必要があるのです。特に英文和訳の受験英語での基準は、ポイントとなる英単語やイディオムがちゃんと訳せているか?と言う事です。

ですので、受験者は、 オレは「問題の英文で使われている単語や熟語、構文の意味を知っていてきちんと理解している」ゾ~~~ と言う事を強烈にアピールする回答を書く必要があります。

逆に言えば、訳した日本語が不自然でも、ポイントとなる英語をきちんと理解していることが伝われば、ほとんどの場合減点されない、つまり、高校なり大学に合格するという、変に偏った直訳を推奨しているのが受験英語なのです。

この減点されない正解?の翻訳技術を学校や塾で徹底的にたたき込まれますので、受験生は訳した和文の不自然さには鈍感になる一方で、A as well as Bを見れば無条件に「BばかりでなくAもまた」と訳し、not A but rather Bを見れば「AではなくむしろB」と訳し、potentialを見れば何が何でも「潜在的な」と訳す様に訓練されてしまう。そしてその英文和訳の方法が「正解」なのだと刷り込まれてしまうのです。怖いですねぇ~。

その一方で、受験英語はまた、偏った意訳も教えています。

The man did not come until the meeting was over.

これを「会議が終わってその男はようやく姿を現した」と訳すのが受験英語の定番(正解)となっています。しかし、本来の意味は「会議が終わるまでその男は姿を現さなかった」ですので、この受験英語の定番は変に偏った意訳となっています。

He was too tired to do any work.

これも定番の”tooto・・・構文で「彼は疲れすぎていて何もできなかった」と訳せば合格です。しかし、英語本来の意味で「彼は何かをするには疲れすぎていた」と訳すと不合格です。翻訳としては後者の方がシックリくるのですが・・・。

この様に採点者から減点されない受験英訳・受験和訳は、私達のビジネス翻訳にとって「百害あって一利なし」です。直訳にせよ意訳にせよ、受験英語が皆さんに変な誤解を与えている元凶となっていると言っても過言ではないと思います。

仮に、現代の一流翻訳者の英文和訳を受験英語の採点者が採点すれば、その殆どが不合格と評価されてしまうのではないでしょうか。多くの方が質問する「直訳で良いのですか?」と言う場合の直訳の本当の意味は、受験英語の様に 私は「問題の英文で使われている単語や熟語、構文の意味を知っていてきちんと理解している」ゾ~ と言う事をアピールする訳文を求めているのですか?・・・という事を意味している様です。

また、受験英語の弊害は、英語と日本語の11の対応を強います。例えば、中学や高校では「carefully=注意深く」と教え、「though=~ではあるが」と教えます。そしてこれ以外の訳語を使う事は間違いであるかのように教えます(教師にとってはその方が楽ですよね)。

しかし、ビジネス翻訳ではcarefullyを「日本文化」で表現するので、実際の訳文は11の対応とは限りません。例えば、carefullyを使った文節の翻訳例を見てみましょう。

carefully assess the interests or benefits of~ ⇒ ~の便益を考慮する

carefully chosen gift ⇒ 十分時間をかけて選んだ贈り物

carefully consider his sincere regret and feelings of apology toward the victims ⇒ 彼の真摯な反省と被害者への謝罪の気持ちを十分に酌む

carefully-engineered antibody ⇒ 巧妙に設計された抗体

carefully-cultured tissues ⇒ 丁寧に培養された組織

私の経験では、多くの人は「carefully=注意深く」と訳すのが「直訳」で、carefully=考慮する、十分時間をかけて、十分に、巧妙に、丁寧に・・・と訳すのが「意訳」だと思っている様です。

ところが、前者は受験英語の教えであり、後者はビジネス翻訳での日本語化の技術なのです。つまり、上の訳例文は直訳でも意訳でもなく「翻訳」なのです。

この様に、翻訳という作業は英語本来の内容を、解釈を加えずに直接「自然な日本語にする」と言う作業ですので、A as well as Bを見れば無条件に「BばかりでなくAもまた」と訳している様ではダメです。文意によってある時は「ABも」となったり、またある時は「A、更にはBもまた」となったりと、場面に合った自然な日本語にすることが翻訳の極意です。そこには直訳も意訳もありません。

 自然な日本語にするステップ

最後に、英文を日本語にする実例をお示ししましょう。次の英文を日本語に訳してみてください。

例1: We conducted a double-blind multicenter randomized placebo controlled trial to determine the efficacy of the drug in patients with refractory rheumatoid arthritis.

 ステップ1

まず、ギチギチの直訳をします。

我々は、本薬(=the drug)の有効性を難治性の関節リウマチを持つ患者で決定する(=determine)ために、ある(=a)二重盲検多施設共同プラセボ対照試験を実施した。

この文は不定詞(to~)の構文ですので、受験英語で習った通りto以下を先に持ってきて「~するために」と訳しました。Determineも、辞書の最初に出てくる訳語「決定(決心)する」を持ってきています。このレベルで訳を止めてしまうと、受験英語としては良い点をくれるでしょうが、ビジネス翻訳、即ち、日本語にする翻訳ではまだまだ不十分です。また、世の中にはこのレベルで止まっている翻訳も多くあり、これを悪訳と呼びます(いわゆる、今時の機械翻訳のレベルですね)。

不定詞to~と言う構文は、元々は主語が同じ2つの文であったものを、toを使ってひとつにまとめたものです。上の例1の文章を元の2つの文に戻すと、以下の様になります。

We conducted a double-blind multicenter randomized placebo controlled trial.

(and)

We determine the efficacy of the drug in patients with refractory rheumatoid arthritis.

この様に元々は同格の2つの文を“and ”で結んだものですので、「~し、・・・する」を使ってto~構文は前から順番に訳していく方が日本語として自然なのです。

 ステップ2

次に、直訳文を日本語にする予備修正をします(まだ出来上がりではありません)。

我々はある二重盲検多施設共同プラセボ対照試験を実施し、本薬の有効性を難治性の関節リウマチを持つ患者で決定した。

どうでしょうか、この方が少しは日本語としてもスムースになってきたと思いませんか? 日本語で「~するために」と言うと何か重大な決意を伴った、大げさな表現となってしまいます。

例えば、I went to Tokyo to meet my uncle.は日本語では「私は東京に行って叔父に会った」という表現で十分なのです。がしかし、受験英語では「私は、叔父に会うために、東京へ行った」と大げさに訳さないと点がもらえません。実際はこの大げさ表現のレベルで止まっている翻訳者さんや受講生が多く、受験英語の弊害がここにも出ているのです。

さらにdetermineの訳を考えましょう、辞書では最初に「決定(決心)する」と出てきますが、これも大げさすぎる表現です。そこで、さらに辞書を読み進んでゆくと「〔事実などを〕見つけ出す、〔原因などを〕究明する」とあります。また、類義語としてevaluate(評価する、判断する)、consider(検討する、考察する)、study(研究する、検討する)、investigate(調べる、吟味する)などがあり、用例としてdetermine how well the treatment is working=治療の効果を調べるdetermine if the person has a brain infection=脳感染症を診断するdetermine sensitiveness to=~に対する感受性を検討する、などがあると説明されています。これらを考慮すると「determine=調べる、検討する、評価する」あたりが妥当な訳だと解ります。

私達のレベルの翻訳で、英和辞典の最初に出てくる訳語で事足りることは殆どありません。英和辞典は用例や類義語までじっくりと読まないと真に求める日本語表現は見つからないものです。ここにも英語と日本語を11対応として強要する受験英語の弊害が出ています。

また、日本語では「難治性の関節リウマチを持つ患者」のことを単に「難治性関節リウマチ患者」と表現します。さらに日本語では冠詞“a”の概念がありませんのでこれらのことを勘案して自然な日本語表現を作り上げる必要があります。

 ステップ3

日本文としての最終仕上げをしましょう。

(我々は)二重盲検多施設共同プラセボ対照試験を実施し、難治性関節リウマチ患者を対象に本薬の有効性を検討した。

臨床試験などの文で in patients with~での前置詞 in は「patients withを対象とした」と言う意味になります。

以上が、私の言う「日本語にする翻訳」のステップです。ぜひぜひ参考にして頂ければと思います。

デハデハ

モバイルバージョンを終了