皆さんこんにちはPartner of Medical Translatorsの津村です。

今日は、翻訳する時に手こずる助動詞のCanとMayの違いについて考えてみたいと思います。

皆さんは、次の英文のニュアンスの違いが解りますか?

  1. It may be very hot in this room in the summer.
  2. It can be very hot in this room in the summer.

 助動詞の働き

まず、助動詞とは何かを復習しておきましょう。

助動詞とは、動詞にくっついて「~かもしれない」とか「~と考えられる」とか「~できる」と言うように、動詞を修飾する語句のことです。

代表的な助動詞には、must, will, would, can, could, may, might, shouldなどがあります。

英文法の本などでは助動詞とは、 推量、許可、可能性 を動詞に与える働きをする・・・と説明されています。

あるTOEICの参考書に「助動詞の確信度/確実性の序列」の説明がありましたので、図にしてみました↓。

右側の挿絵はお気になさらずに!

こうしてみますと、mustの確信度が最も強く、couldの確信度が最も弱い様ですが、この強弱はかなり主観的なもので、使われる状況によって変動します。が、まっ、ひとつの目安として覚えておかれると良いでしょう。

今日はこの中から、canとmayを取り上げてみましょう。

 Canの本質は能力

canはbe able toと書き換えられることからも、主語に何らかの能力があることを意味しています。

I can play tennis. (私はテニスが出来ます。)

この文の意味は、「私にはテニスをする能力と経験があります(ですから何時でもお相手しますよ)」という意味になります。

では、次の英文のニュアンスはどうなるでしょうか?

Can I smoke? (タバコを吸っても良いですか?)

主語のIはここでタバコを吸いたいのですが、canを使うと「タバコを吸いたいのですが、ここは禁煙区域だったり、子供が沢山いたりでタバコを吸えない/遠慮するところでしょうか?」と尋ねていることになります。

 往々にしてcanを訳さない

次のがん細胞に関する英文を訳してみてください。

Cancer cells can infiltrate normal body tissues.

上述のようにcanは能力を表していますから、「がん細胞は正常な身体組織に浸潤する能力がある」という意味になります。

ある翻訳者さんの和訳例では;

がん細胞は正常な身体組織に浸潤することができる

と訳されていました。

can=能力がある・・・なので「ことができる」と訳したのでしょうが、「ことができる」としますと、がん細胞によって「浸潤する場合としない場合がある」という意味になります。

がん細胞が増殖して、認識出来る大きさのがん組織となる頃には、がんであればほぼ100%で周囲の正常組織に浸潤しています。

逆に言いますと、かなりの大きさになっても周囲の正常組織に浸潤しないような腫瘍は「がんではない」ことになります(これを良性腫瘍と言います)。

従いまして、この英文の正しい訳は・・・

がん細胞は正常な身体組織に浸潤する。

と言い切ってしまう必要があります。

これを、究極の翻訳術「あえて訳さない」と呼んでいます。

 

 Mayの本質は許可

mayの本質は mind=気に障る で、読み手(聞き手)の「許可」を求めているニュアンスとなります。

May I play the piano? (ピアノを弾いても良いですか?)

と言う場合、ピアノがそこにあるので、私はピアノを弾いてみたいが「(それは)あなたの気分を害しますか?」と尋ねていることになり、主導権が「あなた」にある・・・と言う意味になります。

 これでは弾くというより・・・騒音?

 

では、次の英文の意味はどうなるでしょうか?

You may eat everything on the table.

「このテーブルの食べ物はどれを食べてもよいですよ」という意味ですが、その裏には「あなたはどれでも食べることが許された人だから(どれを食べても私は気にしない)」というニュアンスが隠れています。

 もうひとつの本質

もうひとつのmayが持っている本質は「ある出来事が想定される」です。

次の英文の(カッコ)に入るのは、mayでしょうか? それともcanでしょうか?

It(  ) rain tomorrow.

上の(カッコ)にcanを入れますと、「天気には雨を降らせる能力がある」というニュアンスになります。

もちろん、天気によっては雨になりますから、天気にその様な能力があることは確かですが、その能力が明日という限定された時に発揮されるかどうかと言うことになると、それは神のみぞ知る・・・というレベルに下がってしまいます。

一方、mayにすると、筆者(話し手)も含めて「明日は雨が降ることが想定される」という状態を表しています。

しかし、本当に雨が降るかどうかは明日になってみないと解らない・・・というレベルです。

以上の事から「(カッコ)に入るのはmayの方が適切」となります。

 MayとCanで大きな違いが・・・

以上の事をふまえて、文頭の二つの英文を解釈すると・・・

  1. It may be very hot in this room in the summer.
  2. It can be very hot in this room in the summer.

1番のmayの意味は、「ある出来事が想定される」の方で、この様に表現する場合というのは、

話者(筆者)は実際にこの部屋で夏を過ごしたことはなく、部屋の状況を見てそう思った(想像した)。

というニュアンスになります。

 

一方、2番のcanの方は、

話者(筆者)は実際にこの部屋で夏を過ごした経験があり、「時々暑くなる」という事実を話している。

というニュアンスになります。

この様に、本質の異なるmayとcanを共に「~と思われる」とか「~の可能性がある」とかノベタンに和訳してしまうのは、少々もったいないと思いますが、如何でしょうか?

デハデハ

 

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